【衝撃】松村雄基の生い立ちが壮絶!幼少期に一家解散で祖母の介護は20年!

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17歳から俳優として活動し、「スクール☆ウォーズ」などで有名になった、松村雄基(まつむら ゆうき)さん。

不良役が多いイメージもあると思いますが、実生活では壮絶な生い立ちだったことが分かっています。

一家離散、祖母の介護などを経て俳優を続けてきた、松村雄基さん。

そこで今回の記事は、

・松村雄基の生い立ちが壮絶!
・松村雄基は祖母の介護20年で波乱万丈人生!

こちらの内容でまとめていきます。

目次

【衝撃】松村雄基の生い立ちが壮絶!

松村雄基さんは、なんと、

幼少時代に一家が離散

しました。

そこからは祖母に育てられ、松村雄基さんの壮絶な日々が始まるのです。

松村雄基さんの生い立ちをまとめると、このようになっています↓

松村雄基の生い立ち

①祖母と2人での生活
②祖母の厳しい教育
③両親とは会っていた?
④祖母の後押しで芸能界へ

では、一つずつ順番に見ていきましょう!

生い立ち①:祖母と2人での生活

松村雄基さんは幼少期から父方の祖母と2人きりの生活。

風呂なし2Kの都営アパートで暮らしていました。

祖母は色々な仕事をしており、詩吟を教えるのがメインの収入だったそうです。

都営アパートは、収入に応じた家賃なので、なんとか生活ができていたと言います。

しかし決して裕福な家庭ではなく、「家にお風呂がないのは普通ではない」と、あとから知ったそうですよ。

生い立ち②:祖母の厳しい教育

祖母は非常に礼儀作法に厳しく、さまざまなルールがありました。

小学生の時は「友達を呼び捨てにしてはいけない」と言われ、「○○君」「○○さん」と呼んでいたとか。

また食事中はテレビをつけてはいけません。

向かい合って正座して、祖母が箸をつけるまで待たなければいけませんでした。

食べ物が口に入っている間は何も話さず、お通夜みたいな食卓が日常だったそうです。

字の書き方にも厳しく、年賀状を書くときも祖母が正面から監視しています。

「手を抜いたり気の抜けたような字は相手に失礼だから」と。

これらは、

松村雄基さんに両親がいないことでいじめられないように、教養をつけさせたかったから

だそう。

祖母のそうした教えは、僕にとって大事なことの1つですね。形ばかりの礼儀作法に思えますが、根底には「人を敬え、人に感謝の心を持て」というのがあったのだと思います。祖母は士族の出身らしいので、その教えを守りたい、引き継ぎたいというのもあったと思います。

引用:婦人公論

両親がいないことで不自由な思いをさせたくない、道を踏み外さないようにと考えたのでしょう。

しかし、松村雄基さんも子供の時はそれが理解できず、憤りを感じたときもあったとか。

高校生頃にようやく、

「この経済状況の中で何不自由なく育ててくれた」

と思えるようになったそうです。

生い立ち③:両親とは会っていた?

松村雄基さんは祖母から、両親についてほとんど聞かされていませんでした。

会話の中で、「仕事の都合で一緒には生活できない」と言われ、本当の理由はわからなかったそうです。

授業参観もいつも祖母が来てくれたとか。

ただ何かのきっかけで、数回父親と会ったことがあるそうですよ。

しかし「ママ」と呼んでいた人は、実の母親ではなかったという衝撃の事実も。

父親がなぜ実の母親と別れたのか詳細は不明で、現在に至るまで実母とは会ったことがありません。

父親は子どもの頃に度々会っていましたが、20歳を超えてからはほとんど会っていないと言います。

生い立ち④:祖母の後押しで芸能界へ

松村雄基さんは小学生の頃、

早朝の新聞配達をこなし、生活費をいれていた

そうです。

そんな生活からの脱却をはかり、芸能界に入ったのが中学生のころでした。

中学2年生の頃、事務所の元社長から同級生を介してスカウトされた、松村雄基さん。

「『何年何組の何々と言いますが、松村さん、テレビに出たくないですか? ちょっと会って欲しい人がいるんですけど』って。こんなぶっきらぼうな箇条書きみたいな言い方ですよ。おかしいでしょう?(笑)」

引用:婦人公文

しかし松村雄基さんは芸能界に全く興味がなく、意外にも祖母が後押ししてくれたとか。

「無下に断るのはよくないから、会うだけ会って来い」と。

松村雄基さんは社長に会いましたが、芸能界に興味がない松村雄基さんが逆に新鮮に映ったそうです。

翌日には祖母に社長が直談判し、「あの人は信用ができる。だからやってみなさい。」と後押ししてくれたそうですよ。

そして祖母の鶴の一声で、松村雄基さんの人生は大きく変わりました。

【衝撃】松村雄基は幼少期に一家解散で祖母の介護は20年!

松村雄基さんは17歳の高校2年生で芸能界デビューを果たしました。

それから1年くらいドラマの仕事をした

18歳の頃、祖母が脳梗塞で倒れてしまいました。

翌日から、ドラマの撮影で名古屋に1週間行く予定だったんですが、その前日のことでした。名古屋に行ったら1週間行ったっきりで2週間分を撮影して、また1週間帰って来て、というのを繰り返すスケジュールの前日で。

引用:婦人公論

医者からは入院する必要はなく、自宅療養を勧められたため、そこから介護生活が始まります。

松村雄基さんが名古屋にいる間は、祖母の娘の叔母が来てくれました。

食事は叔母が作ってくれて、作り置きもあって大変助かったそうです。

また、都営アパートのご近所さんが食事を持って来てくれたり、助けてくれました。

また、事務所の社長が「何かあったら全面的にサポートする」と言ってくれたそうですよ。

心配でしたが、仕事をしている時は他のことを忘れられるという、松村雄基さん。

そのため、あまり思いつめ過ぎずに済んだと言います。

祖母は脳梗塞の後遺症で左脳に影響が出て、ペンが持てず字が書けなくなりました。

言語中枢も影響を受け、話しづらくコミュニケーションも取れなくなります。

松村雄基はヤングケアラーだった

松村雄基さんは10代の若さで祖母の介護と仕事を両立させる、ヤングケアラーでした。

「ヤングケアラー」とは?

大人が担うべき家事や家族の世話、介護などを子供が日常的に行っていることを指します。

大人に代わり高齢の祖父母や、病気や障害をもつ家族のお世話、介護、家事などを担うことです。

ヤングケアラーは、中高生の20人に1人いる言われており、社会問題になっています。

近年問題になっているこの事態を、松村雄基さんは20年経験しています。

家には風呂がないため、祖母を銭湯の入り口までおんぶして連れて行くことも。

21歳のときには事務所の社長が風呂付きマンションを借りてくれて、そこに2人で引っ越します。

それから2、3年後には、祖母の認知症が始まってしまったのです。

その頃、普段暮らしている部屋と別に、同じマンション内でワンルームを仕事用に借りていた松村雄基さん。

普段は1DKの部屋で祖母と一緒に生活していましたが、その後特別養護施設に入所させることになりました。

散々お世話になった祖母を施設に入れるには、葛藤があったようですね。

大ヒットドラマ「スクールウォーズ」出演中も、祖母の介護と仕事をこなしていたなんて・・・

松村雄基さんの苦労は計り知れませんね。

しかし本人は、周りの人間に恵まれていたので、そこまで苦労を感じなかったそうですよ。

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まとめ

今回の記事は、

・松村雄基の生い立ちが壮絶!
・松村雄基は祖母の介護20年で波乱万丈人生だった!

こちらの内容でまとめました。

松村雄基さんは幼少期に一家離散を経験しており、厳粛な祖母と2人暮らしという壮絶な生い立ちでした。

祖母の介護でヤングケアラーとなっていますが、周りの人間に恵まれたので思いつめずにすんだそうです。

最後までご覧いただき、ありがとうございました。

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