人気漫画家として知られている、青山剛昌(あおやま ごうしょう)さん。
代表作『名探偵コナン』は、連載30年でアニメ化、映画化、ドラマ化という偉業を成し遂げています。
そんな青山剛昌さんですが、どのような学生時代を過ごしてきたのでしょうか。
そこで今回の記事は、
こちらの内容でまとめていきます。
【偏差値52】青山剛昌の大学までの学歴は!
青山剛昌さんの学歴が気になりますよね。
青山剛昌さんの学歴については、以下の通りです↓
小学校:北栄町立大栄小学校
中学校:北栄町立大栄中学校
高校 :鳥取県立由良育英高等学校
大学 :日本大学芸術学部
小学校から、順番に見ていきましょう。
青山剛昌の小学校
青山剛昌さんは、北栄町立大栄小学校出身です。
1963年に鳥取県大栄町に誕生した、青山剛昌さん。
4人兄弟の次男で、昔から漫画をよく描いていたそうですよ。
しかし親に怒られるため、こっそり隠れて描いていたとか。
小学校の卒業文集には、「私立探偵専門の漫画家になりたい」と記載。
「青山剛昌ふるさと館」にも展示されていますが、青山剛昌さん自身はそれを覚えていないそうです。
それにしても、有言実行で本当に探偵ものの漫画家になっているのがすごいです・・・!
青山剛昌の中学校
青山剛昌さんは、北栄町立大栄中学校出身です。
剣道少年で、部活動は小中高とずっと剣道部だったそうですよ。
中学時代も、漫画を描くのが好きだった青山剛昌さん。
染織家で美術教師・吉田たすく氏から絵を褒められたという逸話もあります。
「やりたいことがあったらそれをやったらいい」と助言され、美術関係の道を考えるようになりました。
青山剛昌の高校
青山剛昌さんは、鳥取県立由良育英高等学校(偏差値42~46)出身です。
2003年に鳥取県立赤碕高等学校と統合され、現在は鳥取県立鳥取中央育英高等学校となっています。
高校時代もひたすら絵を描いていた、青山剛昌さん。
高校2年生のときには、剣道部から美術部に転部しています。
このころには、漠然と美術教師を目指していたそうです。
青山剛昌の大学
青山剛昌さんは、日本大学芸術学部(偏差値52~60)出身です。
2011年には、同大学の名声を高め、学生たちに夢を与えたとして、『第5回 日藝賞』を受賞しています。
名誉ある賞をいただき、光栄です。いただいた賞金は、すべて東日本大震災の被災者の方々へ寄付させていただきます。
引用:日芸ホームページ
日藝は、僕が高校時代にイメージしていた大学より、かなり自由でした。その日藝が、漫画で大学を描くときのベースになっています。
僕はこの大学を、人を癒したり、楽しませたり、感動させたり、勇気づけたりすることを学ぶところだと思っています。
大学としても、誇りとなる存在なんですね。
青山剛昌さんは大学在学中、「日芸祭」にロックバンド『筋肉少女帯』が出演しています。
しかしライブ直前に委員長から、「人が集まりすぎて、中庭の底が抜ける」と、中止になってしまったとか。
そんな中、ボーカルの大槻ケンヂさんが「ここに集まったみんなが許しても、俺は委員長を・・・!」と絶叫。
みんなで大盛り上がりだったのが、大学の一番の思い出だと話していました。
青山剛昌が漫画家を目指すきっかけは先輩の助言だった!
青山剛昌さんは、大学時代に漫画家を目指すこととなりました。
元々はアニメーター志望で、大学時代は漫画研究部「熱血漫画根性会」に入っています。
同じ漫研の先輩には、「アンパンマン」などでお馴染みのアニメ映画監督・矢野博之さんがいました。
そして青山剛昌さんに、「アニメーターより漫画家のほうが儲かる」と言われます。
東京へ出てくる際は、親に「美術の先生になる」と嘘をついていた、青山剛昌さん。
漫画に理解がない親を説得するのは、至難の業だったのでしょう。
青山剛昌さんはちばてつや氏の大ファンで、『おれは鉄兵』が好きだったとか。
そのため、『週刊少年マガジン』に持ち込むことにします。
初めて32ページの作品を完成させるも、最初に投稿した作品は落選。
しかし2作目で佳作をもらえたのです!
担当編集者とも上手くいっていたもの、編集長から突然、
と伝えられ、『マガジン』を断念しました。
編集長が、あんまりオレの絵が好みじゃなかったらしく、「それなら」って、そのままその作品を持ってサンデー編集部に行ったのが、サンデーでデビューするきっかけなんです。
引用:X
持ち込み先は近所の本屋でたまたま見つけた『週刊少年サンデー』。
あだち充氏のファンだったこともあり、編集部へそのまま原稿を持ち込んだそうです。
そのときの編集者のサポートのもと、1986年には『ちょっとまってて』で小学館新人コミック大賞に入選。
同作でデビューを果たしました。
その結果就職活動はせず、生活費は『ひらけ!ポンキッキ』の背景を描くアルバイトで稼いでいたとか
また、新人賞の賞金を使いながら、半年間は頻繁に編集者へネームを提出しています。
青山剛昌のプロフィール
本名 :青山 剛昌(あおやま よしまさ)
生年月日:1963年6月21日(61歳 ※2024年時点)
出身地 :鳥取県東伯郡北栄町
職業 :漫画家
代表作 :『まじっく快斗』
『YAIBA』
『名探偵コナン』
デビュー後の1988年には、『週刊少年サンデー』でチャンバラアクション漫画『YAIBA』の連載がスタート。
人気を集め、初の長期連載となりました。
1993年に『YAIBA』が第38回小学館漫画賞・児童部門を受賞。
その後、『剣勇伝説YAIBA』としてテレビアニメ化されています。
当時『マガジン』で『金田一少年の事件簿』がヒットしていたころでした。
そのため編集者より、「『サンデー』でも推理モノをやってほしい。」と打診されます。
確かに当時推理ものと言えば、金田一かコナンでしたよね!
青山剛昌さんはあまり乗り気ではなく、ネタ的に続かないのですぐ終わると思っていたそうですよ。
しかし、『名探偵コナン』は瞬く間に大ヒット。
1996年にテレビアニメが放送され、劇場版は1997年からほぼ毎年公開されています。
2007年には、地元の鳥取県北栄町の「道の駅大栄」に、青山剛昌ふるさと館が開館。
単行本の全世界累計発行部数は2億7000万部を突破。
さらに、25の国と地域で翻訳・販売され、アニメは40ヵ国で放送されるという快挙を成し遂げました。
まとめ
今回の記事は、
・青山剛昌の大学までの学歴を調査!
・青山剛昌が漫画家を目指すきっかけは先輩の助言だった!
こちらの内容でまとめました。
青山剛昌さんは小学校~高校まで、地元の鳥取県北栄町にある学校に通っていたのですね。
大学時代に漫研の先輩から「漫画家の方が儲かる」と勧められ、漫画家志望になったそうですよ。
最後までご覧いただき、ありがとうございました。
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