女子バスケットボール選手・馬瓜エブリン選手。
日本代表に選出され、注目度の高いプレイヤーとして活躍が期待されています。
そんなエブリン選手のご両親は、ガーナ人でありながら、日本に帰化されているようです。
その理由はなぜなのでしょうか?
また、エブリン選手の苗字は大変珍しい「馬瓜」ですが、この苗字の読み方や由来も気になりますね。
そこで今回の記事は、
こちらの内容でまとめていきます。
馬瓜エブリンの両親はガーナ人!
馬瓜エブリン選手は、一見外国人に見えますが、日本語はペラペラです。
「ハーフではないか?」という声もありますが、
両親ともに「ガーナ人」
です。
両親は結婚後に、日本にやってきました。
その理由は、
エンジニアの仕事をしていた父親・ニコラスさんが、より高い技術力をつけるため
です。
大学卒業後から、愛知県でエンジニアの仕事をされているようです。
このように、両親ともに生まれも育ちも「ガーナ」ではありますが、
現在は日本国籍を取得
しています。
それは一体なぜなのでしょうか?
次で詳しく見ていきましょう!
馬瓜エブリンの両親はなぜ日本国籍?
それは、
娘のため
でした。
エブリン選手は小学4年生の頃に、地元の「バスケットボールチーム」に所属。
めきめきとバスケのスキルが上達し、エブリン選手自身も楽しいと思っていた時期である14歳の頃。
バスケットボール日本代表への選出されることになったのです。
これにはエブリン選手自身も驚き、出場の意欲もありましたが、そこで直面したのが、
日本国籍でなければ「日本代表」として出場することができない
ということでした。
今まで国籍について大きく触れることがなかったエブリン選手。
「自分はガーナと日本、どっちの国籍なんだろう」
「日本で生まれて育ったんだから日本国籍なんだろうな」
と考えていたのだそう。
現実はそう甘くなく、ご両親がガーナ人であるが故に、エブリン選手も日本国籍は簡単には取れないということが発覚しました。
日本では、アメリカのように、
『生まれた場所で国籍が与えられ、二重国籍で大人になってから選択することができる』といったような柔軟な制度はありません。
ですが、エブリン選手は「日本代表として国際大会に出場したい」という思いを消すことができませんでした。
そのエブリン選手の思いに応えるために、まずは未成年のエブリン選手の親であるニコラスさん、フランシスカさんが日本国籍の取得をする、という流れになったのだそう。
もちろん、日本国籍を取得するのは容易ではなく、ご両親は日本語の勉強を日々行っていたといいます。
特に読み書きが苦手で、辛そうにしていた様子をエブリン選手は目の当たりにしました。
「これは自分が大人になったら絶対恩返ししないと」と心に強く決めたそうです。
「面接だけならいいですけど、読み書きはだいぶ苦労していました。仕事して夜遅く帰ってきても漢字の勉強をしていましたね。それでも迷わずに帰化することを選んでくれた。これは自分が大人になったら恩返ししないとって思いました」
引用元:RFau
ご両親の勉強の甲斐があり、無事に日本国籍を取得、無事にバスケットボール日本代表への参加ができました。
馬瓜エブリンの苗字の由来や読み方は父親が関係していた!
ここで気になるのは、日本に帰化した時の名前ですね。
エブリン選手は、
姓を「馬瓜 (まうり)」
と名乗っています。
ですが、日本で「馬瓜」という姓は、エブリン選手の家族以外恐らく存在していないでしょう。
では、どこから「馬瓜(まうり)」という名前を取ったのでしょうか?
それは、
父親・ニコラスさんの本名「ニコラス・ソロ・マウリ」から、ファミリーネームとなる「マウリ」に宛字をつけて「馬瓜」となった
そうです。
2009年10月26日にニコラス・ソロ・マウリが帰化してマウリを音訳して称する。
引用元 : 日本姓氏語源辞典
他にはない、馬瓜一家だけの特別な苗字というわけですね!
馬瓜エブリンのwikiプロフィール
・名前:馬瓜エブリン ( まうりえぶりん)
・生年月日:1995年6月2日
・年齢:29歳(2024年7月時点)
・国籍:ガーナ→日本 (14歳で国籍変更)
・出身:愛知県愛知郡東郷町
・職業:バスケットボール選手
・ポジション:センター・パワーフォワード
・身長:180cm
ガーナ出身のご両親をもつ馬瓜エブリン選手。
見た目はガーナ人ではありますが、生まれも育ちも愛知県出身という生粋の日本人です。
そして、14歳の頃に日本国籍を取得しています。
馬瓜エブリン選手は、これまでどのようなバスケ人生を歩んできたのでしょうか?
次で経歴も詳しく見ていきましょう!
馬瓜エブリンの経歴
では、詳しく見ていきましょう!
馬瓜エブリンの経歴①:バスケを始めたのは小学4年の頃
愛知県豊橋市でガーナ出身のご両親の間に生まれ、愛知郡東郷町で育ったエブリン選手。
小学校生活では、徐々に周りの子たちと自分の体格や肌の色の違いに気付いたそうです。
周りから聞こえる心無い言葉に怒りを覚え、喧嘩を繰り返してしまうこともあったとか。
しかし小学4年生の頃、
「力で対抗すること」よりも「許すこと」が強さである
こと知りました。
それがきっかけとなり、始めたのがバスケでした。。
バスケットボール特有の「チームプレイ」の経験していく中で
自分のことを主張するところと抑えるところ、そういう塩梅を学んだ
といいます。
また、母親であるフランシスカさんの
「自分自身にしかない魅力を逆になんで使わないの?」
「隣人を自分のように愛しなさい」
という言葉に、今までの「人と同じになりたい」という考え方が変わりました。
それからは、自分が考え方を変えることによって、周りの人も色々話してくれるようになり、興味を持ってくれるようになったそうです。
馬瓜エブリンの経歴②:バスケの強さを手にした高校時代
エブリン選手は、ご両親が180cm以上の体型であったこともあり、所属していたクラブチームでも一際目立っていました。
そこに、当時の桜花学園高校のバスケ部の監督を務める井上眞一監督が訪問。
「桜花学園に遊びに来る?」と声を掛けられたのだそう。
ですが、当時のエブリン選手はまだ小学生でした。
桜花学園がバスケットボールの強豪校であること、井上監督がバスケ部を数多くの優勝に導いていることを知らなかったといいます。
「たまたまミニバスの大会を観に来ていた井上監督が、自分を見出してくださって、そこで『桜花学園遊びに来る?』って声かけられました。二つ返事で遊びに行きました。でも、当時強豪校って知らなかったので、『このおじちゃんは誰だろう』って感じでした(笑)」
引用元 : FRau
そして、高校生になったエブリン選手は、井上監督がいる「桜花学園高等学校」へ入学。
そこで、「強豪校の厳しさ」を痛感したといいます。
今までは「楽しむバスケ」だったのに、突如「勝ちにこだわるバスケ」に変わったそうです。
練習メニューや環境ががらりと変わり、当初は嫌になって逃げ出したかったとか。
ですが、心の支えとなっていたのが「やっぱりバスケが好き」という気持ちと、スキルアップしたことを体感できたときだといいます。
高校生活をバスケ一筋で過ごしてきたことで、エブリン選手の今の強さあるのかもしれません。
エブリン選手が所属していたバスケ部は、高校のインターハイで見事三冠を達成。
さらに、エブリン選手自身は「U-17日本代表」にも選出され、世界選手権ベスト4の好成績に貢献しました。
馬瓜エブリンの経歴③:高校卒業後はWリーグ、日本代表へ
エブリン選手は高校卒業後の2014年、「アイシン・エィ・ダブリュ ウィングス(現:アイシン ウィングス)」に入社し、同年にはアジア競技大会に出場する日本代表にも選出されました。
そして2017年には、トヨタ自動車アンテロープスへの移籍が決定。
2020年からは、妹・馬瓜ステファニー選手と共に「トヨタ自動車」を優勝に導いた立役者となりました。
ただ、その後のエブリン選手は2022-23シーズンは、1シーズンどこのチームにも所属せず休養することを宣言。
その休養期間に、芸能事務所「ワタナベエンターテインメント」に所属するなど、バスケットボール選手以外の側面でも活動をしていました。
そして、2023年6月にはバスケットボール選手として復帰。
「デンソーアイリス」へ加入することとなりました。
そこからは今までの功績とエブリン選手のプレーが高く評価され、見事パリ五輪日本代表に選出されたことになります。
今後の活躍がさらに期待できそうですね!
まとめ
今回の記事は、
・馬瓜エブリンの両親はなぜ日本国籍を取得した?
・馬瓜エブリンの苗字の読み方や由来は何?
こちらの内容でまとめました。
馬瓜エブリン選手のご両親は、馬瓜エブリン選手がバスケ日本代表として飛躍するために、日本国籍を取得されたようです。
娘の夢を全力で応援するという気持ちから一家で日本に帰化したというエピソードでした。
日本代表として全力で活躍してほしいですね。
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